アンドリュー・ロウ著『10ステップでかんたん!魔王の倒しかた』作品解説(5)

アンドリュー・ロウ著『10ステップでかんたん!魔王の倒しかた』作品解説(5)です。

今回は主要キャラたちの解説をしていきます。すごくネタバレありなので、作品をまだ聴いていない方は要注意です。

 

ではまず、主人公のユウ・シャアについて。

ユウのキャラクター
作中の記述によると、9歳から8年間、ひたすら荷物運びをして職業「鞄魔法使い」を開放、そこからさらに一年以上スキルレベル上げに集中。したがって旅の本格的なスタートであるケンとの出会いの時点でユウは18歳(かそれ以上)である。訳者としては18歳かなと考える(もっと年上と想定しても不都合はありませんが)。
外見の記述は少ないけれども、ゴブリンとの体格差の記述から推察すると、特に小柄ではなさそうだ。むしろ日本人の平均と比べればやや高身長かもしれない。また謎のニンジャ「名無しのカゲ」は「髪が短く体が引き締まっている」と評している。
商人の母と学者の父をもつ、という設定に、ユウの性格が象徴されている。つまり、母親譲りの実利重視と行動力、そして(本人はあまり自覚していないようだけれども)父親譲りの学者肌の性格も有している。疑問があれば当たり前のように実験してみるし、調べ物も苦にならない。
とくに運動が得意なわけでなく、力も強くない(といっても、この世界の人間は、私たちの世界の人間よりもよほど強いようだ。少しレベルが上がるだけで私たちからみれば超人的な強さである)。
ミミックや窒息を異様に怖がっていることからわかるように、常人なみかそれ以上に臆病である。なのに、世界を救うために死ぬことは何とも思っていない(どう考えても死ぬ確率の方が高い冒険をしている)。コメディ作品だからそれは当然かもしれないけれども、そこにユウのいわば狂気があるともいえる。
ユウの性別は物語後半まで明かされない……というか、幼少期に職業「お姫様」を手に入れようしたとき女性であることが仄めかされているけれども、そこで気づかなかった読者は、ずっと後になってユウが初めて「彼女」と呼ばれたときに気づくという仕掛けになっている。
これは「勇者」といえば男性と思い込みがちな世代にとっては新鮮な驚きだけれども、最近のアニメやゲームに親しんでいて、勇者が女性であることに全く違和感がない人にとっては、逆に「主人公の性別がなかなか説明されない!」と苛々する原因ともなりかねない(実際にそういう批判的なレビューがありましたが、これは致し方ないところです。しかし読者に偏見がないことは喜ばしいことです!)。

ユウは知識や実力の不足を自覚している。そして不確かさのなかで決断することが多く、予想外のことばかり起こり、すぐに慌てたり怖がったり困ったりため息を付いたりする。なのに基本的に自信満々で楽天的なところにユウの性格の面白さがある。
ユウは強くないし、ふつうに臆病である。ただ、人々を救うために自分を危険に晒してもいい、という考えを当たり前だと思っていて、そこには一点の曇りもない。死ぬのは怖いのに、リスクを取った結果として死ぬことだけは、なぜか何とも思っていない。そのことに由来する自信満々であり、よく考えるとややアンバランスなところである。
ユウは、いわば、人類を救うという大義に憑り付かれた子供である。もし、世界を救うという目標に憑り付かれることがなかったら? ごく普通の子供だったかもしれない。あるいは(家を継げとか、冒険なんてやめろという両親からのプレッシャーが見当たらないことを考えると)どこかぼんやりした、焦点の定まらない子供だったかもしれない。この子は大丈夫だろうか、と心配されるような、ちょっとおかしな子供だったからこそ、両親は冒険に出ることを許したのかもしれない(またはもちろん、たんに両親がリベラルだっただけかもしれない)。
9歳から17歳までの8年間、鞄魔法使いの職業を取得するだけのために毎日荷物運びを続け、17歳から最低でも1年間、スキルレベルを上げることに専念してきたのだから、とてつもない変人である。たぶん友達も少ないだろう。九歳の時点で「鞄魔法使いになる→鞄魔法をレベル100まで上げて上級スキルに進化させる→そうすれば勇者の剣が手に入る」というところまで構想していたフシがある。天才的、努力家であるとも言えるが、不気味なほどの偏執性とも言える。
ものを盗むという行為に、やけに魅力を感じているふしがある(勇者の剣をちょろまかしたり、効率的なレベル上げをしたり、ダンジョンのお宝を盗んだり)。「ゼルダの伝説」シリーズの主人公リンクは人の家のものを勝手に盗むし、「夢を見る島」では明確にどろぼうになれたりするので、盗癖はこの世界における勇者の素質の一つなのかもしれない。システムの穴につけこみたいというのは、ハッカー的・ゲーマー的な欲望ともいえそうだ。
「かたきを討つ」という展開にも、なぜか思い入れがあるようだ。悲劇が大好物とも発言しているので、芝居がかったメロドラマが意外と好きなのかもしれない。
口ぐせの一つは、「オーケイ」。なぜか後半になってからオーケイを連発しはじめる。といってもアメリカ英語でオーケイの頻発はあまりキャラを問わないけれども。
もう一つの口ぐせは、「たぶん」。これはユウの実験好きと行動力と無謀さをよく表している。

服装(旅に出た時点での服装)は、訳者のイメージとしては、例えばだけれども、上半身は学者風衣装、下半身は活動的な軽装をさせることで、ユウの性格を表すことができるかもしれない。
もしかしたら、メガネをかけているだろうか。理論派の父と行動派の母を象徴させる意味で、片眼鏡(モノクル)をしていてもよいかもしれない。
緑色の衣装に着替えたあとは、「ゼルダ無双 ハイラルオールスターズ」に登場するキャラクター「リンクル」(自分を勇者の生まれ変わりと思い込んでいるコッコ飼いの少女)のような感じだろうか。

あるいは強引だけれども、一度だけ「むぐぐ…」と発言していることから、「ブレイブリーデフォルト」のイデア・リーのような外見や喋り方を思い浮かべてもいい……のかもしれない?

正直なところを言うと、ユウの正確な外見の情報は乏しく、性格についても意外と漠然としている(周囲が伝統に捕らわれている分、ツッコミ役になりがちということはある)。そもそもコメディであり軽く短めの作品であるから、ユウの性格が本文中でさほど掘り下げられているわけではないのだ。むしろ意図的に深みが与えられていないとさえ言えるかもしれない。しかし多くの作品の主人公は意外とそういうものであろうとも思う。
ただしあくまで米国の小説作品のヒロインなので、日本の女性キャラクターに多くみられるようなかわいらしさとは異質であることには注目すべきかと思う。著者はあるインタビューで、女性が見た目だけの存在であるような作品はあまり好きでないと述べている。男性に対して一歩譲る、庇護欲をそそるといった意味での可愛らしさは目指されておらず、自立した個人としての強さをもつキャラクターである。
日本と英語圏はやはり違いがあるなあ、という話ではあるけれども、しかしよく考えれば、『涼宮ハルヒ』シリーズの涼宮ハルヒや『ジョジョ』シリーズ第六部の主人公空条徐倫など、日本の作品にだって、伝統的な女性らしさを目指さない(男性キャラクターと振る舞いや口調があまり変わらない)ヒロインはじつは珍しくないかもしれない。
できるだけ、いわゆる女言葉で喋らせないように訳したかった…のだけれど、わりとそうなってしまったかもしれない。
英語版の名前は Yui Shaw なので、本当の発音はユイ・ショウ(ユイ・ショー、ユイ・シャア)である。しかしこれは、 Yuu だと二人称の you (あなた)と区別がつかないので便宜的にユイとなっただけであろうと判断し、邦訳ではユウ・シャアとした。

では次に、ユウの相棒、剣聖ケン・セーイについて。

ケンのキャラクター
男性。ユウと同じくらいの年齢とのことなので、18歳~19歳か。男で18歳だとちょっと幼なすぎるかもしれないので、訳者としては、19歳かなと考えておく(20歳過ぎと考えても不都合はないけれども)。

外見は、肌が浅黒く、スタイリッシュな衣装にこだわりのある聖職者なので、まずは『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズに登場した、プッチ神父が思い浮かぶ。あるいは肌は濃色ではないけれども『Fate』シリーズの言峰綺礼、『ヘルシング』のアンデルセン神父なども思い浮かぶ。
『勇者ヨシヒコ』シリーズのメレブ……は、ケンとはキャラがだいぶ違う。でも、滑稽さ担当の主役級という意味では似ているかもしれない。
(ちなみに肌が「浅黒い dark 」というのは、現代英語的にはラテン系または黒人であることを表すと思われる。「浅」って何だよ、と思われるかもしれないけれども、スキンがダークであると原文にあれば日本語では「浅黒い肌」とでも訳すしかないのである。しいて別の訳し方をするなら「色黒」とか「濃色の肌」だろうか。そもそも一言で濃色といっても肌の色はさまざまであって、北欧人からみれば南欧人はダークだし、南欧人から見ればインド人は濃色であろう。また、この作品世界はゼルダの伝説的世界であるとすれば、平均的なハイリア人よりも肌の色が濃いことを指して濃色と言っているのかもしれない。あるいは、ゼルダの伝説シリーズには「ゲルド族」という色黒の種族が登場する。ああいった外見ということかもしれない。)
ユウよりは縦にも横にも体が大きいとか、重いとかいう記述がある。太っているとは書かれていないけれども、少なくともガリガリに痩せてはいないし、ユウよりは体が大きいようだ。
顔については、オタク顔というか非イケメンと想像するのも捨てがたい。けれども、ファッションセンスに優れている上にお肌にも気を使っているくらいなので、訳者としては美形と想像しておく。説教や祈りで発声するだろうから、声もよいだろう。美形・美声なのに伝統に囚われていて、滑稽なことを大真面目に言う、と想像した方が面白い。

勇者の伝承の重度のマニアであり、伝統について解説したり、伝統破りを指摘する機会があれば、けっして見逃さない。伝統を守ることにこだわりがちで、不潔さを嫌うといった点では、やや神経質な面も。
だがそれ以外は、真面目で朗らかな性格である。むしろ良い奴すぎるくらいである。
「だがそれは……伝統に反するぞ」というのが、ケンの性格を代表する口癖であろう。

非常に察しの悪いところがあり、ベックスの皮肉を皮肉と理解できなかったり、ダークが魔王であること(バレバレである)に気付かなかったりしている。
ユウに付き従い、なんだかんだ文句を言いつつも常に自分が折れて、隣に並んで歩み、敵の攻撃があれば必ず一歩前に出て自分が受ける、というのが全編を通してのパターンである。
ユウをサポートする役目を買って出たわりには、口を開けばつねに、やや上から目線でものを教えようとする。これはいわゆる「マンスプレイニング」の戯画化かもしれない。だがダークに対しても口調が変わらないところをみると、誰に対してもそういう喋り方なだけかもしれない。

幼いころから神殿で育ったことを考えると、孤児だったのであろうか。とすると、実は勇者となる素質もあったのかもしれない。あるいは逆に、貴族の次男坊、三男坊が教会に預けられることは珍しくないはずなので、貴族生まれであってもおかしくない(その方が趣味の良さの説明になる)。

ケン自身は、神聖魔法と剣術修行を両方修めたから剣聖になった、と述べているけれども、これはおそらく嘘である。あるいは少なくとも、隠していることがある。
僧侶なのに刃物を武器としていることが、そもそも異様である。どんなファンタジー物語やゲームでも、僧侶と言えばメイス(鎚鉾)などの、「殺すための武器ではありませんよ」という建前の、刃のない武器を装備するのだから。そして、右目を縦に走る大きな傷があるというのも異様である。神殿育ちなのに、刃物を持った人間と争ったことがあるということなのだから。
おそらく、過去にこんな事件があったのである。
誰かが刃物を持った人間に襲われた。そのときケンが犯人と被害者のあいだに割って入り、身代わりとなって顔に大きな怪我を負った。そしてその刃物を奪い、犯人を殺傷した。刃物で誰かを傷つけたことにより、ケンは僧侶となる資格を(この世界のシステム的に、あるいは、教会の戒律的に)失ってしまった。しかし同時に、「誰かの身代わりとなって大けがをする」という条件を満たしたことにより、剣聖という職業がアンロックされたのである。もしかしたら、剣聖がレアな職業なのは、「誰かの身代わりとなって瀕死となると同時にカウンターアタックを決める」といった、複雑な条件があるからなのかもしれない。

この作品のなかでケンは、つねにユウの前に身を割り込ませ、代わりに攻撃を受けている。これはおそらく剣聖のスキルの一つである。誰かを守ることや身代わりになることに特化しているのであり、おそらく積極的に攻撃しても強くないはずである。剣聖は、攻撃職というよりは、防御職なのだ。(ユウへの攻撃を身代わりとなって受けることは、常に100%成功している。それに対して、自分から攻撃するときはだいたい外している。おそらく、カウンターアタック以外の攻撃は殆ど当たらない職業なのだ。)

さて、理由はともかく、ケンは神殿育ちで神殿で働いているのに、僧侶という職業を取得できなくなってしまい、刃物を装備しているのである。これは、教会のなかで傍流であること、出世できないことが確定しているということでもある。剣の神殿というのも、いわば窓際族的な職場なのかもしれない。
剣聖の方がレアな職業であるにもかかわらず、ケンは自分の職業が僧侶ではないことに引け目を感じている。鈍感でマイペースなケンであるが、木の神殿で「対アンデッド用の呪文は使える?」と聞かれたときだけ、恥じ入るような様子を見せているのである。
ケンの一人称が「某(それがし)」なのも、本物の僧侶ではないから「拙僧(せっそう)」と名乗ることを嫌っているのだ。「お前は本物の僧侶ではない」と、教会でいじめられたことがあるのかもしれない。
ケンはユウと出会った時点で、レベル1の剣聖である。それなのに、「ファッショニスタの職業を取得しようかと」悩んだ、と言っている。これも、僧侶や剣聖よりも先にファッショニスタになりたかったということなのだから、不思議なことである。幼いころから極端にファッション好きだっただけかもしれないけれども、ともかく、教会という組織に馴染めていないことがわかる。最初の職業をファッショニスタにしたら、それは、教会を出て生きていくことを意味したはずである。

ユウと出会ったあと、ケンはなぜか、ユウを本物の勇者にするという目標に憑り付かれてしまったようだ。というのも、ユウ自身は勇者と名乗ろうとはしていない。ただ世界を救いたいだけであって、必要なときは勇者のふりをするけれども、幼少期以外は勇者になろうとしていない。それなのにケンの方は、人々にユウを勇者だと思わせることに、やけに拘っている。ケンの想いは、どうも、世界を救うことそのものよりは、ユウを本物の勇者にするところにあるようにさえ見える。

これはなぜだろうか。訳者の想像だけれども、おそらくこの世界の人々には「伝統を守れ」という、神々のマインドコントロール系の魔法(穏やかに世界全体を覆うような、マイルドな精神支配)がかけられているのかもしれない。しかしケンは、剣の神殿で必死になって剣を抜こうとする冒険者たちを眺めるうちに、そして教会への違和感を募らせるうちに、徐々にこの洗脳が緩んでいた。そしてユウとの対話のなかで、この精神支配からついに解放されたのである。そしてそのとき、魔法の不思議なメカニズムによって、ユウがいわば、ケンの中では伝統に等しい重要さを得たのである。その意味では、ケンは神々の精神支配魔法から完全に脱したのではなく、「教会への服従」を「ユウへの尊敬」で置き換えることに、かろうじて成功しただけなのかもしれない。
あるいは、「本物の僧侶になれなかった自分」と、「本物の勇者でないことを気にも止めていないユウ」を、なにか重ね合わせているのであろうか?

 

主人公の二人組、ユウとケンを、訳者の妄想盛り盛りで解説したらずいぶん長くなってしまいましたので、今回はここまでとします。いやー、でもこれくらいいろいろと妄想しないと訳文というのは作れないわけです。次回はほかの登場人物たちを解説していきます。

 

次回 アンドリュー・ロウ著『10ステップでかんたん!魔王の倒しかた』作品解説(6)

 


10ステップでかんたん!魔王の倒しかた』アンドリュー・ロウ著

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