ナシーム・タレブ『成功について』(卒業式講演)

ナシーム・タレブといえば『ブラック・スワン』や『まぐれ』といった一般書の成功で有名になりましたが、もとは難解な確率論を応用したオプション取引の理論と実践でキャリアを積んできた人です。1987年の大暴落や2008年の金融危機で大儲けしたことが知られていますが、もっと最近の2015年8月の急落でも、顧問を務めるファンドが一週間で10億ドルを稼いだことがニュースになりました。
このスピーチは、レバノンのベイルート・アメリカン大学において、2016年5月27日に行われたものです。原文は こちら(PDF)です。
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ー ブログ移転にともない再掲します。もとは2016年5月30日に公開した翻訳記事です。
ー 表題は訳者が便宜上つけたものであり、原文表題は「2016年卒業式講演」のみです。

ー〔四角いカッコの中〕は訳者による補足です。
ー 2020.03.27 久しぶりに見直して誤訳の修正などしました。
ー どうにもうまく訳せていないところがあります。私の英語力不足かもしれませんが、原文にもちょっと曖昧さがあります(原文が複数バージョンあってどれが最も正確なのかよくわからない & 録音からの書き起こしで校正不十分かも?)
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2016年卒業式講演 Commencement Adress 2016
ベイルート・アメリカン大学 American university in Beirut
ナシーム・ニコラス・タレブ Nassim Nicholas Taleb

〔2016年5月27日〕

卒業生のみなさん。
僕は卒業式に出席するのは生まれて初めてです。自分の卒業式にも出なかった。それに、自分が成功したと感じたことはまだないのに、成功 success についてレクチャーするにはどうしたらいいのか考え出さなくちゃいけない。べつに、謙遜のフリをしてそう言ってるわけじゃないよ。

成功は脆弱な作り物 Success as a Fragile Construction

というのも、僕にとって成功の定義は一つしかないからだ。毎晩鏡を見て、18歳のときの自分はガッカリするかな?と考える。18歳というのは、人が生活に毒されて腐り始める直前の年齢だ。その時の自分だけを審判者にしよう。名声、富、社会的地位、襟の勲章。そんなのじゃない。18歳の自分に恥ずかしくないなら、きみは成功している。成功の定義がこれ以外にいろいろあっても、みんな最近になって作られたものにすぎない。近代の脆弱な作り物 fragile modern constructions だ。

古代ギリシャ人にとって主な成功とは、英雄的に死ぬことだった。まあ僕らは、いくらここがレバノンとはいえ、そこまで戦争まみれの世界に生きてるわけじゃないから、僕らの成功の定義としては、〈集団のために英雄的な道を歩んだこと〉くらいに修正しておけばよい。集団というのが、どれくらい狭い集団なのか、広い集団なのか、それはきみ次第だ。きみのすることは全て、ただ自分だけのためではない、ということだ。秘密結社には正式メンバーとなるための儀式がつきものであり、それは自分のために何かをするだけでなく、みんなのためにも何かをすることだった。そして徳 virtue というものは、勇気と切り離せない。たとえば、不人気なことを買って出る勇気だ。ほかの人たちの利益のためにリスクを取る。それは人道主義的なことに限る必要はない。ベイルート・マディナティ Beirut Madinati 〔ベイルートの政治運動のようです。公式サイト参照〕や地方自治体を支援することでもいい。ミクロであればあるほどいいし、抽象的でなく具体的であるほどよい。

成功には、脆さ fragility がないことも必要だ。ジャーナリストに怯える億万長者とか、義理の兄弟が自分より大金持ちになって打ちひしがれる金持ち、ネットの書込みにビクビクしているノーベル賞受賞者。僕はそういう人を何人も見てきた。出世すればするほど転落はひどいことになる。僕が会った人のほとんどに言えるのは、外面的な成功というのは脆さと不安の高まりを呼び込んでしまうということだ。最悪なのは「もと何々」タイプの人。4ページもある長い履歴書が自慢だったのに、退任のときがくる。ペコペコする部下に囲まれているのが当然だったのに、もう誰も近寄ってこない。まるで、ある日家に帰ったら家具が全部なくなっていたかのようにカラッポだ。

でも、自分を尊重できる人なら頑健 robust だ。これがストア学派の教えであり、偶然ながらこれはフェニキア〔現在のシリアとレバノンの一部〕で起きた思想運動でもある(ストア学派って何だ、という人には、ガラの悪い仏教徒とでも言っておこう。いかにもレバノン人な仏教徒を想像してみてくれ)。僕の住んでいるアミオウン Amioun の村〔レバノン北部、タレブの生地〕にもそういう強い人たちがいて、部族に貢献する地元民であることに誇りを持っている。そういう人たちは、寝るときは誇らしげ、起きた時も幸福だ。ソビエト崩壊後の難しい時期に、20人しか読まない論文を書いて月に200ドルしか稼げなかった数学者たちも誇りを持っていた。肩書きとか賞をもらうことなんて、むしろ弱さの証明か、仕事への自信のなさとさえみなされた。あと、信じてもらえないかもしれないけど、金持ちのなかにも頑健な人はいる。でもそういう金持ちは、社交家ではなくてそのへんの近所に住んでいて、ヴーヴ・クリコ〔高級シャンパン〕は飲まずにアラク・バラディ〔レバノンの地酒〕を飲んでいたりするから、ぜんぜん噂話の種になったりしないというだけなんだ。

僕の経歴 Personal History

僕自身の経歴にも少し触れておこう。これは絶対に内緒だけど、深遠なる哲学的洞察から出てきたように見える僕の書きものはぜんぶ仮装にすぎない。実は全て、消そうにも消せないギャンブル本能から生まれている。司祭の演技をしてるギャンブル中毒者だと思ってくれ。みんな信じたがらないんだけど、僕の教育というのはトレードと、リスクを取ることからきている。学校も多少は助けになったけれども。

僕はラッキーだった。近代市民みたいにじゃなくて、古代地中海人か、中世ヨーロッパ人みたいな教育を受けて育った。僕は本に囲まれて生まれた――両親が Bab Ed Driss 〔地名?〕のアントワーヌ書店 librarie Antoine と、大きな図書館の会員だった。父も母も、読める以上に買ってしまうタチだったから、代わりに僕が読むのは大歓迎だった。それに父はレバノンの博学な人たち、とくに歴史家とはみんな知り合いだった。だからしょっちゅう、イエズス会の僧侶たちを夕食に招いた。彼らは多方面に渡って博識だったから、僕にとっての唯一のなりたい人物像 role model になった。教育とは何か、ということについての僕のアイデアは、先生と一緒に食事をしていろいろ質問をするということ。だから僕は知性 intelligence よりも博識 erudition の方が価値があると思ったし、今でもそうだ。僕は最初は、作家兼哲学者になりたかった。そうなるためには何トンも本を読まなきゃならない。レバノンのバカロレア〔大学入試〕用の知識しかなかったら、なんの優位性もないことになる。だから僕は14歳のときから学校はほとんどサボって、貪欲な読書を始めた。あとになって、他人が押し付けてくる課題にはまったく集中できないことに気付いた。資格のために学校に行くことと、自分を啓発するための読書は、分けて考えるようになった。

最初の分岐点 First Break

で、23歳になるまでに偉大なるレバノン小説を8頁目まで書き上げたんだけれども(年に1頁のペースで執筆していた)、しばらくは焦点が定まらずにフラフラしていた。ウォートン校 〔米ペンシルベニア大学のビジネス・スクール〕で確率論と出会ったとき、これだと思った。取り憑かれたように夢中になったんだ。といっても、さっき言ったように、高邁な哲学的動機とか、科学への情熱というわけではない。市場でリスクを取ったときにホルモンがドバドバ出る、あの興奮とスリルなんだ。友達の一人から複雑なデリバティブ〔金融派生商品〕の話を聞いて、その世界でキャリアを積もうと決めた。デリバティブというのは、トレードと複雑な数学が一体になっている。この分野は新しくて未開拓だ。でも数学的な扱いがすごく、すごく難しい。

強欲と恐怖は先生だ。僕はまるで、知性は平均以下なのにとてつもない独創力を発揮して薬物を手に入れるドラッグ中毒者みたいだった。リスクというものが登場すると、とつぜん僕の脳みその別働隊みたいのが出てきて、なんて面白い定理なんだ、と思い始める。火事に遭ったら運動会よりも速く走れるのと同じだ。とはいえ、実際の行動にはつながらなかったので、しばらく塞ぎこんだ。それに、トレーダーの僕らにとって数学というのは、金融の問題にあてはめるために、手袋みたいにぴっちりと修正を施したものだった。学者がまず理論を作って、ちょっと何かに応用できないかなと探すのとはわけが違う。数学を実践的な問題に適用するというのは、それとは全く別のことなんだ。現実の問題をまず深く理解していなければ、等式を持ってきて当てはめることなんてできない。だから僕は、計量金融学を12年学んで博士号を取るのは、もっとシンプルな学位を取るのに比べて、ずっとずっと簡単だと思った。

そうこうするうちに僕は、経済学者や社会学者はほぼいつも、間違った数学を現実の問題に適用していることに気づいた。これが『ブラック・スワン』という本のテーマになった。彼らが使う統計学的なールというのは、ただ間違ってるというだけじゃなくて、とんでもなく間違ってた。というか、いまでも間違ってる。彼らの方法論は「テイル・イベント」の起こる可能性を過小評価している。テイル・イベントというのは、まず起こらないけれども、起きてしまったら状況をガラリと変えてしまう出来事のこと。彼らは傲慢すぎて、この考えを受け入れることができないようだ。この発見のおかげで僕は、1987年の暴落のあと、20代で経済的に独立することができた。

で、僕は、確率論の使い方や、不確実性ということについてどう考えたり、どう対処したりしたらいいのかについて、一言述べてもいいんじゃないかという気になった。確率論というのは科学と哲学にまたがる論理だし、神学、哲学、心理学、科学などなど色んな問題が入ってくる。そしてもちろん、リスク工学という世俗的問題でもある。ちなみにだけど、確率論というのはここレバント〔東部地中海〕で生まれた。8世紀に「3elm el musadafat 」〔アラビア語で「確率の学問」〕というのが暗号解読に使われたんだ。

そんなわけで僕はこの30年間というもの、いろんな主題をあっちこっちと学び歩き、いろんな人を質問攻めにし、真面目くさった人をからかったりしてきた。医学論文を取り上げて、自惚れた科学者に「このp値はどう解釈しますか」なんて質問してやると、相手は大慌てになるものだ。

有名人の友達ぶりたがり国際連合 The International Association of Name Droppers

第二の分岐点は、2008年の金融危機のときだ。自分の正しさが立証されたと思ったし、危険に身を晒したおかげでまた儲かった。でも、金融危機のせいで有名になって、有名になるのは大嫌いだとわかった。有名人も、キャビアも、シャンパンも、ごちゃごちゃした料理も、高いワインも大嫌いだ。とくにワインの薀蓄を垂れる人はきらいだ。メゼ〔東地中海の軽食〕とアラク・バラディ〔レバノンの地酒〕が好きだ。イカのイカ墨煮とかね。それだけでいい。金持ちというのは自分を搾取するシステムによって好みをあれこれ指示されたがる傾向がある。

自分の好みがはっきりしたのは、堅苦しくて退屈な金持ちたちとミシュラン掲載の三ツ星レストランで夕食をとったあと、〈ニックス・ピザ店〉に寄って6.95ドルのセットを食べたときだ。それ以来、ミシュランの店とか、その他のややこしい名前の店には行ってない。僕が特にアレルギーになったのは、有名人に囲まれるのが大好きな人たち。「有名人の友達ぶりたがり国際連合(IAND)」International Association of Name Droppers とでも呼ぶべき奴らだ。そういうわけで、10年ほどスポットライトを浴びたあと、自分の(アミオウンまたはニューヨーク近郊の)書斎に引きこもる生活に戻った。技術的な仕事をする研究者として新たなキャリアを歩み始めたんだ。僕は自分の略歴を読むたびに、誰か別人のものみたいに感じる。僕が昔したことは書いてあるけど、僕が今していることや、これからしたいことは書いていないからだ。

アドバイスするなら、自分の身銭を賭けた実践を On Advice and Skin in the Game

と、いうのが僕の人生だ。僕がきみらにアドバイスするのをためらうのは、僕が人から言われた主なアドバイスは一つ残らず間違いだったし、したがわなくて本当によかったと思ってるからだ。一つのことに集中しろと言われたけどそうしたことはない。グズグズ先送りはいけないと言われた20年後に『ブラック・スワン』を書いたら300万部売れた。架空の人物を本に書くなと言われたけど、自分が飽きないようにネロ・チューリップとファット・トニーを登場させた。NYタイムズとウォールストリート・ジャーナルの悪口は書くなと忠告されたけど、侮辱すればするほど彼らは親切にしてくれて論説を依頼してきた。背中を痛めて重い物は持つなと言われたけどウェイトリフターになった。いまも背中の調子はいい。

もし僕が人生をもう一度やり直さなきゃならないとしたら、この人生よりももっと頑固で妥協知らずになるだろう。

身銭を賭けること skin in the game 〔経営者や投資家が資金を募るとき、まず自分の資産を注ぎ込んで説得力を持たせること〕なしに、何かをしてはならない。他人にアドバイスをするなら、それによって損する可能性に身を晒すべきだ。これは銀率 the silver rule 〔自分のされたくないことは他人にするな〕の延長だ。だから僕は、自分が使っているコツをお伝えしようと思う。

一、新聞は読むな。新聞じゃなくても、何がどうあろうともニュースを追うな。
納得できないなら、去年の新聞を読んでみたらいい。ニュースを無視しろと言ってるわけじゃない。出来事からニュースを調べるのはいいが、その逆は駄目ということだ。

一、バカな話 nonsense に出くわしたら、これはバカだと言うべきだし、大きな声で言うべきだ。多少は嫌な目に遭うかもしれないが、脆さとは無縁 antifragile でいられる。長い目で見れば、信頼してくれる人は信頼してくれるようになる。

僕がまだそれほど有名じゃなかったころ、インタビューの最中にブルームバーグ・ラジオのスタジオから帰ってきちゃったことがある。インタビュアーが馬鹿なことを言ってたからだ。その3年後、ブルームバーグの雑誌が僕を巻頭特集した。地球上の経済学者はひとり残らず僕のことを憎んでいる(もちろんこの大学の人たちは別だ)。

2回ほど中傷戦を仕掛けられたこともある。でも、ハンニバル以来もっとも勇気あるレバノン人、ラルフ・ネーダー〔アメリカの社会運動家。レバノン系移民の子〕から勇気をもらった。僕はモンサント〔多国籍バイオ化学メーカー〕のような悪の巨大企業がしていることをやり玉に上げて、自分が批判されるリスクを取った。

一、偉いボスによりもドアマンに対して少し多めの敬意を払うこと。

一、もし何かを退屈だと思ったら、それは回避せよ(税金と義母宅訪問は避けられないけど)。なんでかって? 体というのが一番正確なナンセンス感知器なんだから、自分の人生の舵取りに活用しなきゃ。

駄目だよ集 The No-Nos

僕の本にはこの種のルールがたくさん書いてあるけど、今日のところは、処世訓としての「駄目だよ集 no-nos 」を述べて締めくくりにしようと思います。

強さのない筋肉
信頼のない友情
リスクのない主張
美学のない変化
価値のない加齢
栄養のない食べ物
公平さのない権力
厳密さのない事実
博識さのない学位
精神的強さのない軍事主義
文明のない前進
深みのない複雑さ
内容のない雄弁
そして何よりも、寛容のない宗教

ありがとうございました。

〔おわり〕

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